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言語化は「書く力」じゃない——本当に鍛えるべき能力について

はじめに

「言語化力を上げたい」という声をよく聞くようになった。本屋に並ぶ言語化本、セミナー、SNSのハウツー。ブームと言っていい状況だ。

でも、このブームの中に、ひとつのすれ違いがある。

EVeM CEOの長村禎庸とコンセプターの吉田将英による対談Podcast「B面仕事論」で、その核心が語られた。本記事はその解説記事である。

「#25 言語化って、そんなに大事?言葉のB面」の視聴はこちら

言語化には2種類ある

長村が言語化の本を読みあさって気づいたことがある。「言語化と言っても、質感がいろいろ違う」。

ひとつはライティング。良い言葉の選び方、表現の技術。もうひとつはセンシング。「そもそもこの人はどういう人なのか」という認知の更新。対象を捉え直し、新たな視点を得る行為。

吉田は「センシングまでいかないと面白くない」と言い切る。なぜか。ライティングはAIがかなり得意になったからだ。だからこそ、センシングの方に人間の差が出る。

長村がICCサミットで行っているCEO価値観言語化ワークショップも、まさにセンシングの場だ。「皆さんの会社ってどういう決意のもとで生まれたんですか」——問いに答えていく中で、「自分はそう思っていたんだ」と気づいてもらう。表現の話ではなく、認知の更新だ。

「パワポを通して世界を見ている」

吉田にはずっと引っかかっている言葉がある。エスノグラフィーの研修でインストラクターに言われた一言だ。「吉田さんは、観察するときからパワポを通して社会を見ている」。

対象に出会う前から「これはスライドにまとめやすい」と判断してしまっている——その指摘だった。「現状のツールに熟達している人ほど、道具に逆に規定されてしまう」と吉田は言う。

言語化でも同じことが起きる。「言語化せねば」というモードで世界を見ると、言葉にしにくいものが最初から視野の外に飛んでいく。

長村はこれを聞いて「言語化ブームの裏側のもったいなさはそこ」と言う。「未知なる体験をして、これをなんとか言語化したいというのが本来の順番。最初から言語化が先に立つと、言葉にできないものが視野から消えてしまう」。

「熱い」は一種類じゃない

ラーメンのスープを吸ったときの「熱い」と、揚げたての唐揚げを食べたときの「熱い」は、体験としてかなり違う。でも言葉にするとどちらも「熱い」になる。

「言語化することで、そこにある豊かなものをごっそり削っている可能性は、全てにある」と吉田は言う。

言葉というのは抽象化のツールだから、削ること自体は仕方ない。問題は、言語化できないものを最初から無視することだ。「うまく言えないけどこれは大事だ」という感覚を捨てていいわけじゃない。むしろそこに、まだ誰も名前をつけていない重要なものが眠っていることがある。

粋と野暮

「言語化しなくていいものがある」という感覚を、長村は「粋と野暮」という言葉で表す。

川に浮かんでいる感覚を言語化せよ、と言った瞬間に、すごく安っぽい話になる。それは野暮。「そういうもんじゃない」が宿っているものがある。

吉田はここに日本的な感性を見る。「日本人はそういうものを大事にしてきた民族。粋とか野暮とか、生きとか——そこに魂が宿っていることを分かっている民族」。

言語化ブームの裏側には、すべてを言葉にすれば解決できるという幻想が潜んでいる。言葉にした瞬間に消えるものも確かにある。何が粋で何が野暮か。その境目を問い続けることが、言語化を本当に使いこなすことへの入口かもしれない。

言語化のブームを否定したいわけじゃない。ただ、順番を間違えないでほしい。体験が先、言語化は後。「うまく言えないけどこれが大事」という感覚を、言葉にできないからといって捨てないでほしい。そこが出発点だ。